「端午の節句」の由来と歴史

端午の節句はお祝いの日の意味ではない!?

紙兜,端午の節句,由来,歴史出典:PIXTA* 写真はイメージです

桃の節句、端午の節句など、日本ではさまざまなお節句を祝いますね。

しかし、本来「お節句」は、お祝いの日という意味ではないんですよ♪

節句は、日本の暦で季節の節目となる日のことで、伝統的な行事が行われる日でした。

朝廷が権力を持っていた時代は、年間を通して多くの節句行事があったようです。

江戸時代に入ると、幕府により最も重要とされる5つの節句が「五節句」として定められました。

そのひとつが「端午の節句」です。

端午の「端」は「はじめ」という意味で、「午」は「午(うま)の日」のこと。つまり、5月の最初の午の日のことを指します。

のちに「午(ご)」という音が「五」に通じるという事から、5月5日に定着したといわれています。

ちなみに【五節句】とは、次の5つの節句のこと。

1月7日 /人日(じんじつ)の節句
七草の節句ともいいます。七草かゆを食べることで、邪気を払います。
お正月の食べすぎ対策の日じゃないですよー。

3月3日 /上巳(じょうし)の節句
聞きなれない言葉でピンときませんが、桃の節句のことです。

5月5日/端午(たんご)の節句
端午の節句については、次の項で詳しく説明していきまーす!

7月7日/七夕(しちせき)の節句
たなばた祭りのことです。

9月9日/重陽(ちょうよう)の節句
菊の節句ともいいます。
五節句の中ではマイナーな感じがしますが、寿命を延ばす力があるとされた菊を用いて、厄払いや長寿祈願が行われる大切な日でした。

これらの節句は、いずれも厄払いや健康祈願など、神事的な意味合いが強かったようです。

~端午の節句の由来~はじまりは2000年以上前の中国!

三国志,端午の節句,由来,歴史出典:PIXTA* 写真はイメージです

端午の節句の起源は古く、約2300年前までさかのぼります。

日本では弥生時代の前半ごろ。ようやく稲作が始まった時代でしょうか。

時は紀元前280年ごろ、場所は中国・楚(そ)の国。
国王の側近に、屈原(くつげん)という政治家であり高名な詩人がいました。

正義感が強く、国民思いだった屈原は、多くの人々から慕われていました。

しかし屈原は陰謀に巻き込まれ、志半ばにして国を追われてしまうのです。

故国の行く末を案じた彼は、失望のあまり川に身を投げてしまいます。

この日が5月5日だったそうです。

その死を悼んだ人々は、供物を川に投げ入れ、屈原の霊を弔うようになりました。

ところが、ある日のこと。里人が屈原が身を投げた川のほとりを歩いていると、屈原の幽霊が現れたのです。

その幽霊は「皆がせっかく供物を捧げてくれるのに、途中で悪い龍に盗まれてしまい、私の手元に届かない」と嘆いたといいます。

そこで里人は、屈原の霊に教えられた通り、龍が苦手な楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、それを邪気を払う五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛って川に流すようにしたそうです。

米を葉で包んで糸で巻く…つまり、端午の節句に欠かせない「粽(ちまき)」のはじまりですね。

ちなみに、龍が嫌うという楝樹という植物は、茅(ちがや)のこととも、笹のこととも言われています。

このような故事から、中国では5月5日の屈原の命日に粽を作り、供養する祭りが行われるようになりました。

それはやがて、国家の安泰や病気・災厄除けを祈願する大切な行事になっていきました。

これが日本に伝わるのは、それから数百年後の奈良時代ごろといわれています。

端午の節句は、厄除け祈願だった!?

厄除け,端午の節句,由来,歴史出典:PIXTA* 写真はイメージです

奈良時代ごろ中国から日本に伝わり、平安時代には宮廷行事として広まった「端午の節句」。

当初は本家中国と同様に、厄払いの神事でした。

この時期は季節の変わり目にあたり、体調を崩しやすい時期でもあったからでしょう。

医療の発達していなかった時代は、ちょっとした病気で亡くなる人が多かったことから、厄除けは非常に重要な行ものだったのです。

陰陽道では旧暦5月は「毒月」、さらに5月5日は「九毒の日」とされ、一年で最も穢れやすい危険な日であるともいわれています。

平安時代の端午の節句は、邪気を払うと信じられていた菖蒲やヨモギが主役でした。

実際に菖蒲やヨモギには薬効成分が含まれ、薬草として認められています。
<効能>
 ・菖蒲…鎮痛・血行改善
 ・ヨモギ…殺菌、止血、疲労回復など

当時の端午の節句では、菖蒲を髪飾りや冠飾りにしたり、菖蒲とヨモギを束ねて軒に吊るしたりしました。

菖蒲を酒に浸した菖蒲酒や、菖蒲の葉を枕の下に敷くといった風習もありました。

この時期、薬草摘みに出かける習慣もあったようです。

また、貴族の間では、これらの薬草を編んで玉にした「薬玉(くすだま)」を贈る風習があったと伝えられています。

~兜飾りの由来~菖蒲、尚武、勝負! 武士発「男子の節句」

武士,端午の節句,由来,歴史出典:PIXTA* 写真はイメージです

端午の節句が、厄除け神事から「男子のお祝い行事」に変化してきたのは、鎌倉時代以降。武士の時代になってからです。

災厄を払うとして、厄除けの主役であった菖蒲ですが、その名が「尚武(武を尊ぶという意味)」「勝負」に通じるとして、いつしか端午の節句は「尚武の節日」として武士の間で盛んな行事になりました。

また菖蒲の葉が、刀に似ていることも、武士たちには重要な要素だったようです。

菖蒲湯に入る風習もこの頃から。
武士たちが出陣前、武運を祈って体を清めたのが始まりといわれています。

江戸時代に入り、徳川幕府の重要な式日である「五節句」のひとつに定められて以降は、厄除けの神事から、男子の成長と健康を願うお祝い行事としての意味合いが強くなり、徐々に庶民の間にも広まりました。

端午の節句になくてはならない鎧兜や武者人形をみると、武士が発祥のお祝い行事というのも納得ですね。

「端午の節句」と「こどもの日」

ママありがとう,端午の節句,由来,歴史出典:PIXTA* 写真はイメージです

さらに時は流れ…

1948(昭和23)年「国民の祝日に関する法律」により、5月5日は「こどもの日」として、国民の祝日に制定されました。

同法によると「こどもの日」の趣旨は
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」となっています。

端午の節句は「男の子のお祝い」ですが、こどもの日は男女の区別なく、全てのこどもたちのための祝日なんですね。

さらに、注目していただきたいのは、この法律に記された最後のひと言。

『……こどもの幸福を図るとともに、母に感謝する』

『…とともに、母に感謝する』

『母に感謝する』!!!

そう! 
5月5日は「ママの日」でもあるんです!

こどもの日は、ママも子どもと一緒に思いきり楽しんじゃいましょう♪

まとめ

「端午の節句」の由来や歴史、いかがでしたでしょうか? 

お祝いの仕方やしきたりはずいぶん違いますが、子どもの健康を願う気持ちは、きっと今も昔も変わらないと思います。

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